311以降
昨日は福岡で家づくりのワークショップのファシリテーターを務めた
のだけれど、正直言って、申し訳ないことだが、まったく気分が乗らなかった。
ワークショップそのものは、うまく進行したのだけれど、
自分自身の納得という点において、気持ちはそこに存在していなかった。
(上記の文章について書くべき内容ではないとご指摘をいただきました。
本当に失礼な言い方になっており、申し訳ありません。もちろん他意はなく、
このイベントそのものや主催者を否定するものではありません。ただ、
大震災への思いがあまりにも強くある種の虚脱感に見舞われているので
申し訳ないことだが、常に心は被災地のことを考えているということを
伝えたかったのです。そこに居た方が気分を悪くされたのでしたら、
謝罪させていただきます。また、これ以降の文章も、イベントや関係者に
関わる文言ではなく、311以降の物事全般に対しての私の思いを表しただけ
ですので、どうぞご理解ください。文責/桑原あきら)
311以降、何事にも気持ちが落ち着かない。
同じ日本国民として、同朋が今もなお避難生活を強いられている瞬間、
中途半端な気分では何も手を付けることができない。
ずっとそんな思いが続いている。
志がない人に同調する気にはなれない。
本物を目指さない人とは土俵を同じにしたくない。
逆に言えば、本物志向の人とは今もなお同じ波長で付き合うことができる。
心からリスペクトできる。
こんな心情を責める人もいるだろうが、申し訳ない、自分の立ち位置は
こんなときに明確になり、それを曲げるつもりはない。
同朋よ、立ち上がろう。
おそらくは一部の人びとよ、心を強くして志を貫こう。
人生はなんとも短い。だからこそ、正直に生きよう。
311以降、社会のパラレルに気づく人と、そうでない人に
世界は二分されるだろう。
いまだに原子力の必要性を既成概念の枠の中でとらえる人と
そうでない人に世界は二分されるだろう。
これだけは言っておきたい。
世界は、計り知れない未知の中にある、と。
自然も人類も、計り知れない、と。
だからこそ、制御不能の力を利用しようと甘く考えてはいけない。
我々は自然の驚異にいつもさらされ、同時にそれに癒されている。
所詮、その程度の計りの中にしか人類の想像力は埋没できないのだ。
311以降、
我々の生きる道は、二分されはじめる。
by yawaraka-house | 2011-04-18 01:53