今朝、地下鉄で車いすに乗った男性が居ました。
重度の障害がある方です。
突然踊るような仕草をしたので何ごとかと観ていたら、
長袖シャツを着ようと腕を動かしているようなのです。
片方の腕が入ったのでもう一方の腕を通そうとすると、頭の上で腕とシャツが
行き違いになってしまい、うまく袖が入りません。
大丈夫かな? と観ていると、今度は裏返しになったシャツを膝の上に
置いて、そこに右手を通し、そのまま両手を頭上に上げると、見事に
頭上で左手も袖に通ったのでした。
こんな光景を見ていると、毎日、人はいろんな場面で生きるための
訓練をしているのだと、改めて実感します。
健常者と呼ばれる、肉体に不自由がない人でも同じです。
朝、目が覚める。手をついて、体を起こす。立ち上がる。
これだけでも、そうすることで、次の日常の動作へ移行するために
必要な動きを「赤ちゃんの時に」訓練して身につけたのです。
生きることは、訓練の繰り返しです。
生きるための動作や工夫を身につけるための訓練の繰り返しだと思うのです。
この視点で住宅をとらえた場合、住宅にはできる限り無駄な機能は
要らないように思えてきます。ちゃんと自然の中の生き物として生きていくには
あまり便利な機能などはむしろマイナス要素であって、人間にある
基本的な五感や機能を育む訓練を阻害する恐れさえあるのかもしれません。
だから、住宅に、便利過ぎる無駄な機能は要らない。私はそう思います。
質素でこそ、人間の肉体の機能が生かされるのです。
しかし一方で、敢えて無駄を創ることの重要性も感じずにはおれません。
ある住宅の階段のその下。そこを収納にするか、開放的にして地窓でも
設え風と光を入れるか。
収納にすれば収納力がアップして便利。でも、地窓にすれば
他では得られないような爽やかな心地を味わえてこの上なく満足。
ここでは、無駄を創ることで、人間の五感が刺激を受け、生きることを
応援する自然の声やサインを感受できているように思えるのです。
無駄を省く、無駄を創る。人が生きる器としての住宅を造る上で、
それはいずれも大切なキーワードだと思います。
こんな考え方をしている建築家が設計した住宅には
様々な工夫が隠されています。
それを読み解くのも、家づくりのプロセスの中の楽しいイベントです。
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